そんな私

そんな私

思いつきでいろいろと

大人になっても大人がこわい

31歳。世間的にはいい大人。だけど中身は10代と変わっていない。若々しい意味ではなく、あの頃の苦手が今も変わらないという意味で。

 

大人になっても大人がこわい。内心ガクブルなときもある。それでも仕事をしないと、人と関わらないといけない。

 

だから、対社会用に31歳の皮を被って生きてる感じ。

違和感を信じる

兄との話をもう少しさせてほしい。

 

 

兄と私の違いはなんだろうか。兄になくて私にあるものはなんだろうか。今回の出来事から思ったのは”違和感を信じられるかどうか”だと思う。

 

兄は今まで器用に生きてきた(ように私には見えていた)言い換えれば、生きてこれてしまったと言える。

 

私は中・高生ぐらいから人生にはどうにもならないことがある、向いてないことがあると感じる経験がいくつもあった。

 

なので自分の中の違和感には敏感にならざるをえなかったし、試行錯誤をしながらその気持ちに向き合ってきた。と、今だから思える。

 

そして、違和感を信じるようにしている。それを無視すると心が壊れると知っているから。そう思うと私の人生は辞めたり避けたりが多いが、その選択は自分を守る為なのかもしれない。

 

憶測だが、兄は気持ちに違和感を感じつつも信じるまでには至らなかったのではないか。

 

気のせいだろう、ここまでやってきたし、周りの期待もある、我慢しろ、自分ならどうにかできる…そんな心の声を優先したのではないか。

 

渦中にいる兄だが、今は自分の心に耳をすます時間なのだと思う。聞くことしかできない弟ではあるが、昔みたいに話せたらなと思っている。なんでもいいからさ。

 

 

羨ましい人生?

前回の続きとして書く。

 

 

兄との電話で「お前が羨ましい」と言われた。何を言ってるんだと思った。どう考えてもあなたのステータスの方が羨ましがられるでしょ。

 

私は何かやりたいことがあって生きているわけではない。できないことや向いてないことが多く、そういったものを避けるようにして生きている。世間的な”いい大人像”から離れていることに後ろめたさを感じている。

 

それでも兄は続ける。「向いてないことがわかるだけでいいんだよ」と。

 

その後のやりとりから思うに、どうやら羨ましいのは本心のよう。そうか…自分の人生も誰かの参考や興味になっているのかもしれないな。そう思いはじめると、少し心が軽くなった。

 

実の兄、それも羨ましいと思っていた兄からの言葉だからこそ信じてみようと思う。私の人生だってひとつの生き方なのだ。誰かにとっては貴重な経験なのだ。

 

もしかしたら私は、自分が思うより苦しんでいたのかもしれない。急には難しいが、少しずつでも現状を肯定していきたい。”いい大人像”の呪いを薄めていきたい。