前回の続きとして書く。
兄との電話で「お前が羨ましい」と言われた。何を言ってるんだと思った。どう考えてもあなたのステータスの方が羨ましがられるでしょ。
私は何かやりたいことがあって生きているわけではない。できないことや向いてないことが多く、そういったものを避けるようにして生きている。世間的な”いい大人像”から離れていることに後ろめたさを感じている。
それでも兄は続ける。「向いてないことがわかるだけでいいんだよ」と。
その後のやりとりから思うに、どうやら羨ましいのは本心のよう。そうか…自分の人生も誰かの参考や興味になっているのかもしれないな。そう思いはじめると、少し心が軽くなった。
実の兄、それも羨ましいと思っていた兄からの言葉だからこそ信じてみようと思う。私の人生だってひとつの生き方なのだ。誰かにとっては貴重な経験なのだ。
もしかしたら私は、自分が思うより苦しんでいたのかもしれない。急には難しいが、少しずつでも現状を肯定していきたい。”いい大人像”の呪いを薄めていきたい。