そんな私

そんな私

思いつきでいろいろと

隣の芝生は人工芝

兄は器用な人だ。勉強も、運動もできる。身内が言うのも何だが、モテる。地元の安定企業で働いており、既婚。子供も生まれた。

 

自分にないものをすべてもっている。自分にはない器用さをもっている。兄のことは好きだが、どこかで比較をしていた。そつなくレールに乗れているようで羨ましかった。

 

 

そんな兄と最近、長電話をした。2時間。こうやってサシで話すのは5~6年ぶり。

 

きっかけは、家族LINE。兄が人生ハードモード真っ最中であることが判明したため。

 

心配ではあるが、正直ホッとした。どうにもならないことが兄にもあるんだな、と。同時に、いままで身勝手な比較をしていたなと反省。

 

なぜ人と比較をするとき、その人がうまくいっている前提で考えてしまうのか。みんな何かしらあるはずなのに。今はなくても過去に、もしくはこれからあるかもしれないのに。

 

とはいえ、これからも私は誰かと何かを比べてしまうだろう。けれど、深みにハマることはないと思う。青く見える隣の芝生は、人工芝かもしれないのだ。

 

後悔の繰り返し

あのときああしていれば、あのときああ言っていれば、なんであんなことしたんだろう…

 

そんなこといままで5億回くらい思ったし、30歳になっても減らない。おかしい。大人になれば自動的に減っていくもんじゃないのか。

 

ただ、そのときそう思ったこと、その言葉を選んだ気持ちも分かる。

 

そもそも毎回正解の選択が出来るほどお前は器用なのかって話し。それができてればもっとうまく生きれているのでは。

 

というわけでしくじったときは自分を責めつつ、共感し、余裕があれば学べたことは何かしら?と考えるようにしている。

 

そして経験を次にいかす。なんてかっこよく言ってみたいけど、まぁまた同じようなことをしでかす。バグか。でもしょうがない。繰り返していくしかない。

 

そんな私。

最後は甘いものを食べたい

死ぬ前に何を食べたいかというセルフ質問。なんだろう。ぐるっと考えたけど甘いものがいい。

 

頭に浮かんだのは、栗原さんちのおすそわけシリーズ、とろけるパンナコッタ。あれはうまい。もう人生で20ダースくらい食べてる。今後生産中止にならないことを祈る。

 

 

初めて食べたのは高校生の頃。早朝に実家から10キロ離れた祖父の家に行こうと思い立ち、妹と二人でブルーアワーの中チャリをこいだ。チャリて。

 

途中、スーパーで朝ご飯をとる。で、妹が買ったこのパンナコッタをわけてもらったのがはじまり。そこから目につくと買ってる。たまに2個食いもする。幸福がすごい。

 

 

 

 

ところで、冒頭の死ぬ前に~という質問。

 

よく明日死ぬとしたらうんぬんという質問があるけど、これ、人それぞれ思い浮かべる”死”って違うよね。

 

私はありきたりだけど、隕石落下とかもう自分の力ではどうにもできないこと、誰のせいでもないどうしょうもないことでの”死”を考える。

 

これって性格がでるんだろうか。死について深く考えたことはない。あんまり人とも話さない。

 

そんな私。